音楽&薬草bar Scivias

名古屋市中区錦1−15−10萬新ビル2階で営業の音楽&薬草bar Sciviasのブログです。電話080-5129-2795 http://www.facebook.com/barscivias

現録カセットテープの魅力

日曜日に極私的現地録音勉強会おこしの皆様ありがとうございました。

今回は参考テキストに

ロラン・バルト 「明るい部屋」

飯沢耕太郎 「私写真論」

廣瀬純 「シネキャピタル」

を使用して、フィールドレコーディングと写真・映画の話をしました。

また、実習としてスキヴィアス近辺の音を参加者各自が録音して試聴会をやりました。

 

人の声や排気ダクトなどの音、交通量の多い交差点のサウンドスケープや、路地裏の神社の静謐な音など、色々な音が聴けておもしろかったです。

今回、参加して頂いた方の中でカセットレコーダーを使われていて、カセットに音を記録すると何気ない街の音でも、雰囲気のある音になるダジタルとの違いに改めて気づかされました。カセットいいっす!

 

今回は参考音源としてManfred Werderの一ヶ月間チューリッヒ中央駅を記録した作品を紹介しました。以下その作品のちょっとした解説です。

 

 

Manfred Werderの作品「2005(1)」は、「place  time  (sounds)」とだけ書かれたテキストのみの作品となっている。この作品を演奏(実践)したJason Kahnによる録音が2012年にリリースされた。

Jason Kahnは2010年の3月1日から3月31日の31日間のスイスのチューリッヒ中央駅の午前10時から18分間の音を切り取った録音作品となっている。

チューリッヒ中央駅という一つの同じ場所ーplace の午前10時という同じ時刻ーtime の、音たちー(sounds)に耳を傾けることで、止まっている場を流れて去ってしまう音たちにより、時の流れを意識される感覚もあり、また、固定化された場の、ある時間の音たちを聴き続けることで、場に宿る音という事を意識させられる感覚もある。

Manfred Werderが(sounds)と書いた事は重要であると思う。ある音対して、一つの物の見方では時間が浮かび上がり、それとは違う物の見方では場という空間が浮かび上がる。場と時間という時空によって、音という存在が成立している、であるならば場と言う空間的な側面だけをクローズアップしたり、時間の推移と共に変化していく音のみをクローズアップするのも、偏った物の見方と言える。この作品は音により見えてくる、場と時間による時空を改めて意識させる作品であるように思う。また、Jason Kahnは今回、特定の場の、決められた時刻の音を切り取ったが、例えば決められた時刻を複数の録音者もしくは複数のマイクにより、異なる場の音を同時に切り取る事によって、また違った音から広がる時空を感じ取れるかもしれない。

時間の隔たりのある同一の場と、同じ時間を共有する異なる場では、どちらの方が距離があるのだろうか?

 

今回の録音に話を戻すと、チューリッヒ中央駅の2010年3月の一ヶ月間の午前10時を切り取ることで、駅という場の特性もあり、決められた時刻に鳴る走行音、物売りの声、駅を利用する人々も社会的な状況により反復性の強いサウンドスケープであると思うが、一見似ている外郭も聴き続けることで細部の違いが見えてくる。最小の午前10時というフレームで見えれば同じ時刻だが、もう一つおおきなフレームの週という単位で見れば、例えば休日の列車の運行の違いや、物売りの定休日、曜日による利用者数の変化があるはずであるし、さらに大きな月や年という単位のイベントもあったのかもしれない。さらには毎日の駅を使う人の体調の変化、物売りの新人が研修をしているかも知れないし、見習い運転手の列車のブレーキは、いつもと違う響きを奏でるだろう。また録音者である午前10時に毎日駅に立ち続けるJason Kahnを、はじめは訝しく思い避けていた人も、繰り返しの行為により馴れて、心を開き彼の前で友人と何気ない会話をするようになったかも知れないし、「何をしているんだ?」と尋ねた人も一度尋ねれば、もう尋ねることはないだろう。そして何より天気はコントロールできない。このようにチューリッヒ中央駅という特定の場の、決められた時刻の音の変化が聴き続けると見えてくる。

こういった聴こえ方や音に対する考え方は、複数のスライドの提示にとって可能なものかも知れない。チューリッヒ中央駅の午前10時の音響は、毎日刻々と変化しているが、もう少し具体的な音の様子を見ていこう。今回は初日の3/1と最終日3/31をピックアップしてみようと思う。

 

3月1日 午前10時 チューリッヒ中央駅

車の走行音とクラックションが聴こえる、この時間はラッシュアワーなのだろうか。その前景に男が何か喋りながら通りすぎていった。列車が走る音や雑踏、車の音などの多数の音が溶け合い駅に乱反射して複雑なドローンを形成して、その音響体の前景には靴音やカサコソという物音が聴こえる。列車の連結の音だろうか、もしくは何か工事をしているのだろうか、深い残響のメタリックな音が時折遠くから響く。まばらにマイクの近くを通る人の声や、幼児の泣き声が聴こえるのが、残響の溶け合ったドローンのアクセントになっている。後半レースが軋む音が聴こえたが、これは耳が馴れて来て、音の識別が鋭くなったせいかも知れない、聴いているうちに、ドローンと感じていた音が、より細かく識別できているように感じる。やがて、ウィーンとう何かモータの駆動音が鳴り、その後、重い鉄を引きずるような大きな音がなって3月1日の録音を終了する。

 

3月31日 午前10時 チューリッヒ中央駅

会話の声の背景で、工事現場の大きな音が響いている。1日と比較すると工程がだいぶ進んでいるのだろう、ドリルやビスを打ち付ける音など工事をしている事が音から鮮明に分かる様になっている。この日は休日なのだろうか、やたらと子どもの声が目立つ。1日の残響が溶け合うドローンは、ここでは聴こえず、工事現場のモーターの通低音と、ドリルや鉄のぶつかる音、水撒きの音や、ときおり重機を搬入しているのだろうか、一際よく響くバスドラムのような重低音が鳴る。この録音えは駅のサウンドスーケプというより、都市部の工事現場の音という装いになっている。これを聴いて駅の音だとは分かりにくいかも知れない。後半少し工事の手が休まると、今まで後ろに隠れていた、1日の録音でも聴こえた駅に乱反射するような雑踏の音が現われ、同じ場の録音であることがよく分かる。

 

今回は音の違いが明確になるかと思い、一番時間の隔たりがある初日と最終日の音を細かく見てみたが、案の定まったく違うサウンドスケープとなった。工事という要素があったせいか音の違いが、あまりに大きかったので、31日の一日前の3月30日の録音も聴いてみようと思う。

 

 

3月30日 午前10時 チューリッヒ中央駅

台車が通りすぎる音の背景では、工事の音が聴こえるが、31日ほどの激しさはなく、リズミカルにビスを打ち付ける音が鳴る。この日は31日と比較すると人通りはまばらに聴こえる。子どもたちの声はあまりしない。31日と比較すると、あまりに静かなサウンドスケープで驚いた。1日と比較しても、今日の録音は静謐である。時折通り過ぎる人の会話や、台車かキャリーバックをひく音がよく聴こえる。中盤、工事の音だろう鉄を引きずる轟音が、他の録音より鮮烈に響く。この音以降、工事の作業音が激しさを増していく。駅にいる人の量が、他と比べて、あまりに少ないのが録音から分かる。個別の音があきらかに鮮明に識別できる。この録音の工事の音が他の録音より鮮明なので、規模の大きな工事をしているのではないかと想像できる。また駅の残響特性も、この録音はより分かりやすく聴こえる。

 

3月30日も特殊な録音になっていた。記述しながら聴くことで、音の違いが鮮明に分かったが、なんとなく通しで聴いていると音の変化は感じるが、ここまでラディカルな変化があったことには気づかなかった。この録音と関わって、音を言語化することで、より細部に耳は到達できるという事と、普段、如何に耳が「なんとなく聴いている」という事であった。だが、全体を「ぼんやりと」眺めるような聴き方で、イメージする事も多々あった。細部に辿り着くと、より具体的な音響の特性や細かい差異が見えるが、全体を眺めるような聴き方では、抽象的なイメージが、たとえば、その音の社会的背景や文化的背景、あるいはノスタルジーなどの感情の諸要素など、音そのものとは違う事柄が、その音響から感じとりやすいように思った。