gravity waveについて
ピサロのレーベルgravity waveを聴きながら、あれやこれやと、聴き比べようかと、けっこうな量のディスクを積み上げてしまった。
ヴァンデルヴァイザーの諸作品や、jakob ullmannやシェルシの作品。
lee pattersonやsimon whethamなどのエレクトロニクス、フィールドレコーディングの作品。
donedaやkocherなど物音のような器楽作品などなど
もちろん、それぞれ性質のことなる作品だが、一つの作品の中に複眼的な、異なる複数の視座による音の捉え方をしているように思う。もちろん、作家、作品ごとに、その視座の設定は違う。そこが聴き比べていて、おもしろい。
リズム、メロディー、ハーモニーの三つの要素により音を強固に結びつかせ、組織化する方法、もしくは、それとは異なるアプローチではあっても、音を組織化し、提示し、作家の意思を聴衆に伝えるような旧来の音楽でなく、それらの音は、聴き手に「問い」を孕んでいて、また、作家自身も、ある問いから派生する、また別の問いへと移行していくような、音からの問いかけに耳を傾けるという、一人の聴き手としての姿勢を忘れない態度となっているように思います。
これらの音楽は旧来の作家→聴衆という一方通行の奴隷型聴取から脱却する可能性があるように思います。ただ、作品のスタイルだけを、なぞるような、聴き方やヒョウゲンになってしまうと、その可能性は一気に消失してしまう。